何やりたいんだろう

今日は少し遠出している。オフィスにいなくて普段とは少し違うので色々と考える。

一体自分は何をしたいんだろう。

 

オフィスはどうしても閉塞感がある。そこだけが世界。どっぷり浸かりたくないと思いつつもそこで過ごす時間は長いのでとらわれてしまうこともある。帰宅しても会社でのことを思い出したり。

そりゃあまあ仕事と私生活(プライベート)は完全には切り離せないでしょう。誰がそこんとこきっちり分けてると言い出したんだろう…

そうするとやはり生活の上で仕事は大事なわけです。お金だけでなく精神衛生上。

ゆとり世代かつ便利機器に溢れた世に生まれたわたしは贅沢なことに、できれば何かやりがいや楽しいことを仕事にしたい、と思ってしまう。

別に今の生活が特段苦しいというわけではない、、そうなので今を続けていけばいいのか?それは嫌なのです。はあ、わがまま〜〜

 

考えても考えても堂々巡りになる。

そしてそろそろ結婚したいな、、と思う。逃げ道じゃあないのにね。

 

ひとまず今日とった宿があまりよろしくなかった。ずーん。

今から何しようかな。

ケータイの充電残しておきたいしな…

とりあえず!

頭の中を整理したい。

 

昔の日記を読んだら、わたし基本的に考えてること変わってなくてびっくり。

ということは精神年齢が止まったままなんだわ。もう10年も経つというのに!

驚きと虚しさ。

 

てことは、これがわたしということなのか。うじうじとネチネチと考える。対人関係についていつも不信感、不安を持っていて孤独と漠然とした未来への不安を常に感じている。

 

そうとしたらもう気質としかいいようがない!melancholic、メランコリックだあわ。

 

なんかそう考えたらちょっとはすっかりかもね。自己のことを理解するのは、一歩先へ進んだことになるので。

まあこんな風に自己についてこだわりがあるというのも1つの気質だわな。

みんなそんなに自己へのこだわりって案外ないんじゃないかな。流行がすぐに変わるのもそう。

健全な人たちはそういう自分への変化に従順なんだよね。

言い方が馬鹿にしてるような感じだけど、全然そうじゃない。素直だ、ということ。受け入れている。

 

きっと理想やプライド高いので受け入れたくない拒否したいと思って

誇大自己が発生するのです。

 

いい加減やめれば?とおもうのだけどもう10年も変わらない。あきらめたほうがいいのか。あきらめるんだったらいい加減頑張れよ自分、とも思う。

 

あーあ!

嫌だわ嫌だわあ。

こうしている間に時間は過ぎて過ぎた時間は戻らないしまた後悔するつもりなのか。やめなされ。

 

頭痛いなとりあえず。

寝たいのにねれない。

明日会社やだな、とりあえず!

最近の

このあいだはオットーネーベル展に行って来た。

凄くよかった。オットーネーベル、この展覧会があるまで名前は知らなかった。クレーやカンディンスキーは知ってるんだけど、ネーベルは聞いたことがなかった。

 

クレーやカンディンスキーと関係があって親密な仲だった人物。

日記での彼らに対する想いがあつくて、素敵だったわ。芸術を愛する者たち…って感じで。

 

ナチから頽廃芸術の烙印を押されドイツから追い出されてしまう。

時代に翻弄されてもなお自分たちの作品を描き続けるなんて、なんとも劇的だわ〜

作品は最初は確かに一見クレーと似てるという印象だったけど、ビデオ説明でもあったように全然違うかった。

 

クレーは線で描く。

ネーベルは厚みがある。

 

点の数を覚えているというエピソードも印象的。近くで見たらほんと凄かった。よくこんな点々をたくさん、、

だからかのっぺりした感じが無くてどこか暖かみがあって、おしゃれで可愛らしい。

 

あとネーベル、俳優だったということもあってイケメン。イケメンがこんな作品描いたんか〜と想像すると胸熱。

 

今回行けて作品を見れてほんとよかった。ゆっくり見れたしセラピーになった。クレー展行きそびれてガックシだったんだけどクレーの作品もちょっと見れて嬉しかった。

 

やっぱベルン行きたいな〜

 

今日は江戸戯画展行った。

混みすぎてて見た感じがしやんかったな。

 

河鍋暁斎の作品見れたのは良かったな。

あと耳鳥斎。かわいい。

 

市立美術館のコレクション展のがゆっくり見れてよかったんちゃうか…

不動明王の掛け軸とか曼荼羅とか。

 

やっぱ混んでると嫌だね。

 

 

ブログを書こうとおもったものの書くことないな、とアプリ閉じてしまったのだけど

でもなにか書きたいなーと思ってて携帯触ってたら、書く気のあるネタを見つけた。

まあそんな、大したことないのだけど。

 

なんか心に引っかかりがあったんだなぁ、と。だから何か書きたかったんだなぁ、と。

 

昨日も親戚のお姉さんに、結婚はあせってするものじゃないよ、と言われて、そうなのかなと思った。

いろいろやってからの方が後悔は残らないよーとか。まあ確かにそれもそうか。と思ったり。

 

でもやっぱり、知らぬ間に周りは結婚して自分は?!てなるのも嫌だし

だから結婚というものに対する意識とかはあった方がいいのかな、と思う

 

まあ、あまり考え過ぎても結局理想論になって、そのループになっちゃうのはまずいとも思う。

 

なんせ、大事なのは後悔しないことだよなあ。

あれやりたかったのに、これしたかったのに、ってゆうやつ。

 

そうなるのは嫌だな。

フラストレーションは極力解消して行った方が心が楽。

 

人と話したり話を聞いたりすると、自分が何をしたいのか、明らかになる場合もあるんやね

 

なるたけできるだけのことをやって、生を肯定していこう…

雨上がりの空は雲が残って広がっていた。雲の切れ目から光が降り注ぐ。

光に反射して白い筋がいくつも伸びている。

 

ああ、神の世界への階段が降ろされた。

もしくはお浄土への道標。

どの宗教の言い方でも構わないのだけれども

 

今日という日はそういう日で

昇り行く人は歓迎されてることでしょう。

価値観、生き方、在り方、とらえかた、色々考えながら 生きる

その都度その都度軌道修正しても構わない

 

厭世気分に浸りたくなりがちだけど

結局、生きていることにありがたみを感じできれば生を肯定したい

 

と考えれば日々できるだけ生き生きとやって生きたいなと思う

 

わたしらなんか、遠く彼方の宇宙から見ればちっぽけであるし

人間社会で決まったことなんか、宇宙の真理からは大したことでもない

 

そう頭ではわかりつつ

でも人間が社会をつくってしまった以上、ルールや決まり、価値観があって

その中で個人は生きるので

そちらもとても大事なんだと思う

 

偏らないようにするのが

きっと救われバランスを保てる秘訣なのかな

 

 

こうやって日々感じて本とか読んだり人の話とか聞いてかんがえて反省して、そうやって自分なりの哲学ができてくるんではないか

 

それが絶対的に正しいわけでなく、他人にも適用可能なものでもないのだけど

 

そうしてうまい具合にできていけば

生きるということを肯定的にとらえて精神的に楽になるかな、と思う

 

 

そんな戯言。

なんか、今疲れてんなーと感じる

 

いろんな思いが頭をめぐる。

 

どこか遠くへ行きたいなあ

 

 

溜息ばかりついてしまう

 

前向きにいこう

今はただ疲れてるだけだよ

 

明るくいこう

 

 

少しづつでもきっと良くなると

信じて行こう。うん。