会社→やめたい

という発想になっていてそれが結構長く続いてるということはいい加減やめた方がいいのだと思う

 

問題はやめるタイミングとやめたあとのこと。

やめるタイミングは、やめる月から3ヶ月くらい前に伝えれば十分ではないかと。

いつやめるのか。来年いっぱいにはやめる。

となると来年の年内には伝えるという流れか。

 

あとはやめてから何をするか。

現実を甘く見過ぎてはいけない。就職先も探さなきゃいけない。どうしよう。それがまだはっきり決められていない。

思考停止におちいる。なにがいいのか。

 

兎にも角にもこんなわたしが社会人やれただけで充分よくやった。とりあえず組織に属して馴染もうと励んだ。組織に入ることはとても大事だとも理解した。でもまあある程度、限界を感じるよね。

ずっとこのまま、大した変化もステップアップもないのか、って。

 

ちゃんと生きよ。

ようやく

週末が来た。

一週間は短いようで長い。長いようで短い。

やはり短いのかもしれない。

 

むしむしと暑い駅の中はいらいらするし

空調の効いたショッピングモールはすずしい

 

なんで大人になったらみんな忙しくなるのだろう

考えなくなってしまうんだろう

哀しいね

雨月物語

現代語訳で読んだ。円地文子さんの訳で。

 

古典はいい。現実と離れている。

遠く離れた昔のおはなし。

しっとりとしていて落ち着く感じだ。

 

五巻からなっていた。

巻の一  白峯、菊花の約

巻の二  浅茅が宿、夢王の鯉魚

巻の三  仏法僧、吉備津の釜

巻の四  蛇性の婬

巻の五  青頭巾、貧福論

 

白峯。崇徳院西行法師の問答。

菊花の約。丈部左門と赤穴宗右衛門との兄弟の契り。約束を守った二人の強い絆に胸熱。

浅茅が宿。勝四郎、待ち続けた妻の亡霊と会う。夫はよかえれよ、、帰ってくると信じて生きながらえようとした妻。死んでも待ってたんだね…

夢王の鯉魚。興義という僧、魚を描く人だった。死んだと思いきや、夢で鯉になっていたとのこと。

仏法僧。夢然、息子とともに高野山にきて、紹巴、関白秀次たち亡霊と出会う。

秀次って無念にも追われて高野山で自害したのね…秀頼が生まれて邪魔に思われたのか。切ない。

吉備津の釜。これなかなかにホラー。夫が悪い。正太郎と磯良。吉備津の釜は二人の婚姻では音は鳴らなかった。浮気をして駆け落ちした正太郎。相手をなくし彷徨っていたところ曠野で見つけた女主人。それは磯良の亡霊だった。正太郎は占者に四十日間外に出てはならないと言われた。

ようやく四十日目になり夜が明けるかというとき外に出た途端…

こわーい。

蛇性の婬。頼りない豊雄。雨の日に出会った美しい女。傘を貸すと、真女子と言う。

真女子は蛇だった。しつこく豊雄に迫る。術者も殺される。法海和尚が地中に埋めてくれてなんとかおさまる…ホラーよね

青頭巾。死んだ小姓を愛するあまり鬼になった僧。快庵禅師、その僧をさとしたというはなし。

なかなかにおたんび。

貧福論。お金の妖精の話。お金の妖精のお金論。ひとと金、出世と金。倹約を旨とした武士、左内との問答。

 

個人的メモメモ。

怪奇小説と言われるだけあって、不思議なお話しだった。古文の表現はうつくしいね。自然の描写や人の想い。

 

まだ春雨物語を読んでないのでこれから読もう。

何やりたいんだろう

今日は少し遠出している。オフィスにいなくて普段とは少し違うので色々と考える。

一体自分は何をしたいんだろう。

 

オフィスはどうしても閉塞感がある。そこだけが世界。どっぷり浸かりたくないと思いつつもそこで過ごす時間は長いのでとらわれてしまうこともある。帰宅しても会社でのことを思い出したり。

そりゃあまあ仕事と私生活(プライベート)は完全には切り離せないでしょう。誰がそこんとこきっちり分けてると言い出したんだろう…

そうするとやはり生活の上で仕事は大事なわけです。お金だけでなく精神衛生上。

ゆとり世代かつ便利機器に溢れた世に生まれたわたしは贅沢なことに、できれば何かやりがいや楽しいことを仕事にしたい、と思ってしまう。

別に今の生活が特段苦しいというわけではない、、そうなので今を続けていけばいいのか?それは嫌なのです。はあ、わがまま〜〜

 

考えても考えても堂々巡りになる。

そしてそろそろ結婚したいな、、と思う。逃げ道じゃあないのにね。

 

ひとまず今日とった宿があまりよろしくなかった。ずーん。

今から何しようかな。

ケータイの充電残しておきたいしな…

とりあえず!

頭の中を整理したい。

 

昔の日記を読んだら、わたし基本的に考えてること変わってなくてびっくり。

ということは精神年齢が止まったままなんだわ。もう10年も経つというのに!

驚きと虚しさ。

 

てことは、これがわたしということなのか。うじうじとネチネチと考える。対人関係についていつも不信感、不安を持っていて孤独と漠然とした未来への不安を常に感じている。

 

そうとしたらもう気質としかいいようがない!melancholic、メランコリックだあわ。

 

なんかそう考えたらちょっとはすっかりかもね。自己のことを理解するのは、一歩先へ進んだことになるので。

まあこんな風に自己についてこだわりがあるというのも1つの気質だわな。

みんなそんなに自己へのこだわりって案外ないんじゃないかな。流行がすぐに変わるのもそう。

健全な人たちはそういう自分への変化に従順なんだよね。

言い方が馬鹿にしてるような感じだけど、全然そうじゃない。素直だ、ということ。受け入れている。

 

きっと理想やプライド高いので受け入れたくない拒否したいと思って

誇大自己が発生するのです。

 

いい加減やめれば?とおもうのだけどもう10年も変わらない。あきらめたほうがいいのか。あきらめるんだったらいい加減頑張れよ自分、とも思う。

 

あーあ!

嫌だわ嫌だわあ。

こうしている間に時間は過ぎて過ぎた時間は戻らないしまた後悔するつもりなのか。やめなされ。

 

頭痛いなとりあえず。

寝たいのにねれない。

明日会社やだな、とりあえず!